今回は本当に長いよ!!
このブログでも語ってるけど、そりゃあもう水曜どうでしょう!!
過去に散々語っているのだからその話にリンクしろとか言われそうだけど、却下!!!
【出会い】
私は埼玉で育ち、進学のために北海道に渡ったのは1999年。
ニュースステーション*1終わったら何か番組が始まって初めて大泉洋と鈴井貴之を見た。
この時点でお二方は北海道ではスターだけど、北海道に行ったばかりで誰だか全然知らない。
何の事だかさっぱりわかんないけど違和感なく見た。
終わる時には「え、もう終わっちゃうの」と思った。それが感想です。
来週も見ようと思ったけど番組の名前すら知らないし、何曜日の番組かもすぐ忘れたので翌週見ることはなかった。
でも初めて見たときのことは15年過ぎた今でもはっきり覚えている。
それが原付東日本第1夜。
2回目に見たのは日本一長い料理番組の最後の方。大泉洋がo_nちゃん*2に
「何でそんなに黄色いんだよッ」
と言ってキレてた。大泉洋が北海道ではスターだということがわかりかける。
【無駄な情熱】
大学生だったからというのもあるにせよ、なんであんなに何もかもを費やせたのだろう。
私の住んでいたのは網走という割と田舎で本当に娯楽がなかったんだと思う。
野球だって日ハム東京だから巨人以外許されない感じだったし。
札幌に住んでいたら遊ぶ場所もあってまた違ったんだろうな。
そういうわけで、どうでしょうには時間はともかくおカネも可能な限り費やした。
日めくりカレンダーは何度もリメイクされてるけど初代は争奪戦だったんだマジで。
あの時は学生実験が入っていて札幌まで行けなかったので東急ハンズさんにお願いして代引きにしてもらった。
携帯電話には札幌東急ハンズの電話番号が本当に入ってた。
実験部活どうでしょうの日々。今思えば贅沢で濃厚だった。
だけど、だけど札幌PARCOの大どうでしょう展は行ってない……!!
網走から札幌までいったいいくらかかると思ってるの。バスで片道6000円ですよ。
2007年くらいの渋谷PARCOのイベントは初日に参戦しました。
【聖地めぐり】
・HTB本社
弟「普通の公園じゃん」
・高崎
実家が近いしね。観音山でだるまキーホルダを…え、違う?
何も知らずに名駅できしめん食ってから行ったら、かつ丼セットしかメニューがないことを知る。ものすごいボリューム。泣きながら食ったらかあちゃんが「ムリしなくていいんだよ!」と言ってくれて、完食。
・博多駅
今の姿になる前に行った。天神のバスセンターも行った。キングにももちろん乗った。やられた。
・羽田空港
大学時代は帰省するたびに「どうでしょう班サイコロ振ってないかなあ」と思ってました。
・天文館のむじゃき
普通の食堂だった
他にもあったような気はするけど、忘れました。
実家は原付東日本で大泉洋が「ここで寝てやる!」と叫んだ付近(うろ覚え)。
【グッズ】
初めて買ったのって何だったっけ。
写真集1か?サイコロ1ビデオか?
覚えている限り羅列。
CD-ROM1、2、トランプ、対決列島手ぬぐい、ポスター(大泉洋が赤いバラの花束持ってるやつ)、缶バッジ、ポストカードいろいろ、日めくりカレンダー、深夜バスチョロQ、四国八十八か所手ぬぐい、のぼり、ステッカー、写真集2、DVDなど。
………買っていたのは主に放送終了前だし、あんまり貢いでないですね。
HTBはホームページに過去販売したグッズを紹介しているけど、2000年前後はもっといろいろ売ってたと思うんだけどなあ。
膨大すぎて端折ったか?確か鈴井大泉のブロマイドとかあったはずなんだが。
ステッカーはもちろん持っていて、愛車にも貼った。
グッズとは違うのかもしれないけど、着メロはもちろんオープニング曲。
当時はHTBが無料でダウンロードさせてくれた。
【布教】
面白いと思ったので、布教をする。
よく「お勧めの企画を3つ」とかいうけど、どれにしたらいいかわからん。
ただ、初心者には絶対お勧めできないものがカルトクイズ大会。
個人的には好きな企画なんだけど*3、初期のどうでしょうをある程度知ってないとつまらん。
でも優勝者の素人が超面白いので見ましょう。
大泉洋は一応本州の番組に出てたのだが、罰ゲームだったので非常にひどい扱いだった。
ひどかったので弟を捕まえて「これが本当の大泉洋だ」とかわけわからんことを言い、強引にどうでしょうビデオを見せた。
次は母を引きずりこむことにした。
この頃母はスイスに旅行したこともあり、ヨーロッパを見せたがまったく興味を示さない。あきらめた。
母は半期に一度私のアパートに遊びに来ていたのだが、私は母を無視して帰省中に友人に録画を頼んだどうでしょう、対決列島を見ていた。
すると企画の途中にも関わらず母が食いついてきたじゃないか!!!
その場で対決列島を最初から関東大会くらいまで見せる。
すっかり虜になった母は帰りの空港で「あの企画が終わったらビデオ送るように」と念を押しまくった。
それからは実家にどうでしょうビデオを送ってました。この他に
「冬休みは帰るけど何か買ってく?」
「六花亭のおかしとどうでしょう」
というやりとりまであった。
弟もファンなので、毎日毎日どうでしょうビデオを見て笑いながら夕食を摂ったようです。
母はいとこ一家も引きずりこむことに成功しました。
私は先輩にどうでしょうの道を教えてもらったこともあり、卒業後は道外に帰った先輩たちにせっせとダビングして送ったのです。
【オフ会】
実家に帰ってから2回ほど参加しました。場所は埼玉と新宿です。
2回とも、北海道で見てたのは私ひとりなので超浮く。
オープニングの後はSUBARUのかっこいいCMじゃなきゃどうでしょうじゃない!と思っているのだからそりゃあ浮いて当然か。
参加しているのは最近ファンになった人達なんだろうなとは思っていたけど、みなさんDVDとか動画サイトで見ていると言ってた。
私はビデオテープが切れそうになるまで繰り返し見たとか(企画によるけど)、やはり感覚が合わない。
昨年のオフ会ではどうでしょう歴15年と言ったら周囲が引いてました。
この感覚が分かる人には出合えませんでした。
【今思うこと】
と、このように語ろうとすると文の量が通常の比ではなくなってしまう。
しかしあれはもう、いくら新作やっても過去のものなんだよ。
過去の企画を見返すこともない。
新作がどうこうとかネットに出ているとわかっているけどつい期待してしまう。
が。
最近は裏切られることしかないですね。
何ていうか、やっぱり面白くないんだよなあ。
編集は昔の方がよかった。だからDVDも今は買ってない。
北海道で毎週やってた頃しか知らないから、今のどうでしょうは別物と思っている。
一生どうでしょうはできないのでした。
私はね。
ローソンをお屋敷とか、ファンを藩士とか言い出した頃からついていけなくなった。
関心がない私はついていく必要もなかった。
だから、今オフ会に参加してもかみ合わないのは自然なことなのでした。
【ビデオテープ】
ところで………番組は標準で録画していたのでビデオテープの数が半端ないんですよ。
どうしたものか。