きょうのひとり飲み会

太く短くふわふわと

私と

「私となんたら」というタイトルで1ヶ月くらいやりたかったが、ネタがない。
このブログのネタがないのではなく、タイトルを縛ってしまうとネタがないんです。

明日からはまた普通のタイトルに戻るわ。

私とオフィスグリコ

オフィスグリコを知ったのは10年前の横浜勤務時代です。
お金の容器に100円入れたらお菓子ボックスから1個持っていけるシステム。
冷蔵庫の中にアイスクリームだってあります。
なくなった分はグリコさんが定期的に補充します。
3〜4週にいっぺんくらいの頻度でやってきます。
現職場は「食い尽くす」といった感じなので、もっと短いスパンで来ていただいてもいいような。
グリコさんは毎回微妙に違うお菓子を補充するので、補充後は「何があるのかな」とさり気なく覗いてみたり。
他の職場にいたときは食堂にオフィスグリコの冷蔵庫があって、よくジャイアントコーンを食っていた。
そればかり食っていた。
しかし従業員の中にはそのシステムをよくわかってない人もいて、ただ食いされ、売上が合わず、申し訳ないので取引は中止にしてもらった。
私はそいつを許せん!!!と思った。思っただけだけど。
食べ物の恨みは怖いのだった。

私と就活

私は4大出てるけど、卒業式に進路は決まってなかった。
そんな醜態を晒したのは私だけだったので大学側は私のことは抹殺したいはずである。
しかもここのブログで派遣生活について堂々と語っているので大学の名を汚しているとか言われて今から卒業を取り消しにされたらどうしよう。
まー、卒業してからだいたい20年過ぎているから今更取り消しもなにもないんだけど。
社会での実績もあるから派遣でやっていくには困らないし。

さて、前置きが長くなりましたが就活。
この頃私は心を病んでいたようながする。たまにオーバードーズに近いことをやっていた。
今は双極性障害診断が出ているのだが、双極って心というか体の脳をやられている感覚なんですよね*1
あの時いろいろあったし死にたかったんじゃないかなあ。死んでないけど。
大学が北海道だったので道内に就職したいと漠然と思っていたが、東京出身の男性と交際したことによって揺らぐ。
今思えば卒業した瞬間に別れるんだから自分の信念貫けよと言ってやりたいがこの時点ではそんなことわからんしなあ。
そして成績も非常に悪く。やる気もなく。
面接では「何でこんなに成績悪いの」とはよく言われた。
そりゃ補欠入学だからだ。客観的事実を述べることは言い訳に値するんだけど。
後期になっても内定が出ないので、学生課に呼び出された。
「キミはサークルに所属しているね」
「はあ」
「そのサークルに1年生が10人しか入部できないとする。11人希望者が来た。どんな子から入会を許可する?」
「うちは来るものは拒みません」
終了。
お互い話にならんという感じ。
学生課的には何か模範解答しろということだったのだろう、それが私の欠点だと言いたかったのだろう。

親とは離れて暮らしていたし、氷河期という状況を全くわかっていなかったと思う。
自分たちが高卒で超大手に入社できたので、大卒ならもっと大きな企業に入れると思ってたんじゃないかな。
言われてないけどそんな気はする。
この10年後くらいに「みんなが知ってる大きな企業入りたいならやっぱり東大の大学院は出てないとなあ」と言ったらたいそう驚いていた。

バイトは普通にできていた。労働を拒否したいわけではなかった。
ただ、日本の就活は私にはまったく合わなかった。
当時は人見知りも激しすぎた。面接で喋れる気がしなかった。
転職をしまくった今、日本の労働システムにも合ってない生き方なんじゃないかと思っている。

結局、大学を出た年の4月に場末の………今にも潰れそうな食品会社に入社はできた。一応正社員。
「経験者を募集していたけど、そこの大学で食品をやったなら採用してやる」
というわけで、ほとんどはったりだった。

この後の話はまた改めてやります。記事はできている。

まあ、20年くらい業界ふらふらしているけど働けてはいるんだからそんなに心配することもなかったんじゃないでしょうか。

*1:あくまでも私がそう感じるというだけ。一般論ではありません

私と受験の環境

私の大学受験は第三者が見たら「なめプ」ってやつに映るかもしれないが、私はあまりにも無知だった。


大学受験最大の失敗は、高校受験と同列に考えていたことだと思う。
そしてその事実を指摘できる大人がいなかったことのような。
今みたいにネット社会じゃなかった。
蛍雪時代と進研ゼミくらいしか情報がなかった。

高校受験は中3から本格的に対策を始めたので、大学受験も同じようにやってしまった。
高校受験の偏差値と大学受験の偏差値が別ものって知ったのは大学卒業してしばらくしてからだったような気がする。
しかも1、2年は部活とかバイトとかしょーもない男女交際に費やしてしまったのだね。

さて、ここで「学校側は何の指導もしなかったのか?」という疑問が出るかと。
こたえ)何もない。調査書書くだけ。
三者面談はあるが指導はない。地域で3番手の高校ですが(偏差値も平均的)、東大を受けたいと言っても反対はされない。ちなみに戦争の頃は東大進学実績あったらしい。そして凋落した。
どの大学名を出しても受かると言われないと思うけど、落ちるとも言われないだろう。
この高校は「受験で全滅してもお前以外誰も困らない」という考えだったので、ええ。
受験校の選択、勉強のやり方などを間違えた本人以外誰も困らん。
予備校代出す親は困るかもしれないが。
幸い、指定校推薦の枠はたくさんあった。
理系は理学部と工学部はいろいろあったのだが、農学部はなかった。
食に関する学校は女子栄養ならあったけど私は栄養士には興味がなかった。

行きたい大学の推薦試験は作文と面接だった。
作文が書ける気がせず、面接はもっと嫌だったので一般入試に気力のすべてを費やした。
この大学の推薦試験は農家の後継者が有利だということは入学後に知った。

一般入試にすべてを費やそうとした、が。
高校の履修内容が幅広く、とにかく幅広く詰め込むという方針だったのでますます受験向けではなかった。
理科が2科目履修でいいなんて、大学入ってから知った。
以前の記事でも言及したけど地理、政経、地学以外はすべてやりましたから。
私立農学部なんて数学はせいぜいⅡでいいのに理系というだけでⅢまでやった………。
この高校は文系でも物理あるから鬼だと思う。
他校もみんなそうだと思っていたが、もっとライトだと知ったときは衝撃だった。

3年の授業なんて留年しない程度に出席しているだけだった。
内容も受験範囲外の微分積分とか現代文だったから全然聞いてなかった。
内職ばかりしていた。

だから、何で浪人せず進学できたのかいまだにわかりません。
ここで人生の運の殆どを使ったような気がしてならない。
あの程度の?大学ですが同期はみな偏差値の高い高校か中高一貫の私立出身だった。
4年で卒業できたけど勉強はもちろんついていくことができなかった。



大学受験の結果だけで考えると高校選びは大失敗です。
上で進路指導はないと述べたけど、その代わり成績で文理を決めるということもなかった。本人の好きなようにさせてくれた。だから失敗してもお前以外困らないということになるんだが………。
理系科目は物理化学生物やったけど、どれも役に立っている。
広く浅く与えられたことによって今の自分がいるんだと思っている。

私と視力矯正

視力が悪くなりだしたのは中2の頃だった。
中3のときに学校から何か勧告もらって眼科に行ったら矯正しなさいという話になる。
メガネ作れと。

が。
母がかなり嫌な顔をした。メガネは許さないと言った。
医者が矯正しろと言ってもダメなものはダメだった。
何とか作ってもらえたがメガネは許されなかった。
この点だけは譲れなかったみたい。
高校に入って、コンタクトはあっさりと作ってもらえた。
視力矯正はいいけどメガネがダメらしい。
理由が全くわかりません。
今の感覚だったら虐待に近いものがあると思うのだが。

メガネの女に何かされた、のか………?

コンタクトなら許してもらえたので、メガネはしなかった。
この頃はソフトなら煮沸消毒だった。
一晩かかるやつです。今の若い子にはわかるまい。
高3の頃に使い捨てレンズが登場して、なくすリスクがなくなった。
当時はソフトなら1枚2〜3万円しましたからね。
たまになくしたり破いたが、メガネじゃないからすぐ買ってもらえた。
………そんなにメガネが嫌だったのか?
母は自分が老眼になったらようやくメガネを許してくれた。
理解できん。

30歳くらいまでは基本的にコンタクト使用していたが、派遣、ひとり暮らし、業務で薬品を使用するなどいろんなことが重なってメガネに替えた。
といっても、5000円くらいのものです。
安くて、手入れをしないかららくちんです。コンタクトは買いに行かなくてはいけないのも面倒ですからね。

私と東京

埼玉の北で育った。
大宮が既に遠かった。

小学生の頃は父が池袋で働いていたので、夏休みは母が池袋に連れて行ってくれ父は半休を取ってサンシャインシティに行った。

高校生の頃は日頃から高崎で遊んでいたので、大宮すら遠い。
3年のときは何回か小田急に乗った。都内の大学へ行きたかったからだ。
関東の私立農学部は何か知らんがみな小田急線にあった。
夏休みはオープンキャンパスへ行き、秋はいわゆる学園祭へ行き、冬は入試。
入試は親の勤務先の宿泊施設に泊まらせてもらったが、原宿だったのでもちろん遊んでしまった。
そういえば、海を見たいと言って学校をサボって葛西臨海公園に行ったなあ。
埼玉県民は海なら何でもよかった。

大学は私立1校を6回受けるという荒業を使った。
複線入試ってやつ。
それで全滅するんだからバカですね。
だから池袋の予備校で浪人する予定だったのです。
が、3月の終わりに補欠になっていた学科から入学しないかという連絡が来た。

大学は北海道だったのだが、帰省するたび東京のどこかへは行っていた。
だいたい、飛行機の発着が羽田=都内だからね。
八重洲ブックセンター寄ったり、父に秋葉原連れて行ってもらったり、意味もなく新宿へ行ったりした。

大学卒業したときに実家へ帰る。
熊谷にはなにもないので買い物は東京。
大人だから電車賃だって困らないし、たまには行くようになっていた。

が!
27歳のときに転換を迎える。

横浜に引っ越したのだね。
横浜駅周辺でだいたい、いや、ほぼまかなえる。田舎出身者にとってはあの周辺でまかなえないものなどない。
服はジョイナスかルミネ、家電はヨドバシ、本屋だって今は亡きダイエーの上にでかいのがあったし。今はそごうの紀伊國屋書店。デパートがふたつもあって、地下街もあって、仕事帰りに宝くじだって買える。
ホームセンターは星川のコーナンで良い(当時は保土ケ谷区に住んでいた)。

そして私は東京へ行かなくなった。
乗り換えでたまに渋谷や新宿は通るが、もうわからん。
特に渋谷はついて行けません………。

私と冬休み2022

元旦は………。
さだまさしの番組を見ながらこたつで値落ちした。2時頃布団に寝直す。
昼まで寝、どうやって過ごしたかもう覚えてない。
年賀状は出すのをやめたので、来なくなった。
夕方はこの日のために用意した料理を皿に盛り、レモンサワー飲み、食べる。
酢れんこんは好評だった。リンク先にはないが、たたきごぼうも好評だった。
このふたつは実家では作ったことがなく、ネットで検索したら出てきた料理だった。
栗きんとんも好評だった。筑前煮も好評だった。みんな好評だった。
その後は埼玉県政財界人チャリティ歌謡祭を少し見る*1
入浴後はストレッチ動画を見ながら体を動かす。

2日。
昼まで寝る。
余ったそばを食い、箱根駅伝を見る。
午後はいとこの孫10歳にお年玉を渡しに行く。
いとこの家は歩いて30分くらいなので、天気もいいし、てくてくと。
本人にはもう5年以上会ってないが、母のことはわかるのでその一家からお年玉だよと言って渡す。
いとこ宅に30分ほど滞在し、また30分かけて帰る。
夜はストレッチ。

3日。
12時過ぎに実家を出ようと思ったが、結局箱根駅伝を全部見た。
クラブツーリズムから母宛にパンフレットが来ていたので眺める。
特にそそられない。
実家滞在中の炊事は私が行ったので、母が小遣いくれた。もらっとく。

帰りの列車はすっげー混んでいる。
田舎の路線だから普段の日曜日はさほど混んでいないのだが、きょうは身動きが取れない。
夜は少しストレッチ。 

*1:検索してみてください。奇祭と呼ばれている

私と髪の毛

今の職場に入職するとき、髪をばっさりと切った。
3年の契約終了のときにどこまでのびているか、のばせるか。
ただの遊びです。

しかし、短いところと長いところの差が数cm。
あごの先が最も短くて、そこから数cm下に長い部分がある。
のばしたいけどまとめにくくていらいらしている。
思えば夏に切って以来、美容院に行ってなかった。

私は行きつけの美容院があるわけではなかった。
切りたい!と思ったときに切りに行っているので何日も前から予約はしていない。
ホットペッパービューティーでその日受け付けてくれる店に行っている。

少し長くなってきたので漠然とパーマをかけたいと思っていた。
こうなりたい、というはっきりとした意志はないので形を決めるのに時間がかかる。
長さは短い部分に合わせてカットしてもらった。
さっぱり。

こうなった。
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キテレツ大百科のみよちゃんのような頭です。

何でもっと早く切らなかった私。

私と冬休み2021

1週間ほどもらった。
そのうちの1日は仕事がないから有給を取らされる、だったことは別に不満じゃないぞ。
体を休められればそれに越したことはない、という感情とくだらない理由で有給取りたくないという感情の間で揺れてますが。

仕事帰りに池袋東武百貨店に寄って、鈴廣のかまぼこを買う。
実家でだらだら食う用にクッキーも買う。

1日めは午前は寝潰して、午後は美容院へ行く。大宮へ行った。
半年近く行ってないのでぼさぼさだったが、数センチ切ってパーマをかけた。
気持ちも髪も軽くなった。
そごうのロフトでお年玉の袋を選ぶ。

2日めは
午前の半ばまで寝て、近所のスーパーへ買い出し。
「おせち」で検索したら出てきた料理を2品作る。
栗きんとんと酢れんこん。
栗の甘露煮は高い……。普段買わないから相場知らないけど。栗8粒で1000円。翌日同じスーパーへ行ったら半値になっていた!
まず栗きんとんを作る。
さつまいもをゆでてざるでこす。こしづらい。ザルだから明らかになめらかではない。
酢れんこんは初めて聞いたけど、作ってみる。
れんこんはでかすぎた。直径が5cmくらいある。
花の形にしたら割れたりするが、家庭で消費するので気にしない。

3日めは親と買い出しに出る。
スーパーは三が日お休みなのだが、近年は元旦から営業していたから何をどのくらい買ったらいいかわからず。
帰宅後は筑前煮とたたきごぼうを作った。
髪の毛を染めて、紅白を見ながらこの記事をまとめている。
紅白は飽きて、途中から孤独のグルメを見ていた。
年越しの瞬間はBSでQVCの通販。

私と初詣

ここ数年、行ってない。

母方の祖父母は毎年成田山新勝寺に初詣に行っていた。
ある年、ふと川崎大師に行った。

その年の師走、火事で家全焼。




母はこの時まだ5歳。
人生で最も古い記憶が火事だという。
私が神奈川に住んでいるので
「会社の人との付き合いがあるなら仕方ないけど………できれば行かないでくれ!!!」
と言われたことがある。
この火事により、私の実家ではこたつに火を入れる日も決まっている。

社会に出てからは長期休暇なら旅に出て、そこで初詣をすることも多々あった。
節操ないなあ。
横浜に住んでいた頃は仕事がシフト制だったので遠出はできず、会社の人と伊勢山(桜木町の方向)に行っていた。
今年はどこへ行きたいとかない。
あー、まあ、コロナがあるから出歩かない方がいいか。

あけましておめでとうごさいます2022

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メモ用紙にパンダをいっこ描いたらいっぱい描きたくなり、こんなのになった。

最近は仕事のことで荒れてますが、今月中に何らかの結果が出ます。
でもどっちに振れても悩むんだろうなあ………。


気を取り直して今年の予定でも。

1。入院しない
もし今の職場を辞めたら力尽きそうだな。
既に心が折れている。

2。お金はあまり使わない
貯金に回したい。月に5万円の貯金は死守したいが………。
今年こそ何か国内株式を買いたい。

3。2月にお出かけします
お金はあまり使いたくないが、この時期にしか見れない何かを見てきます。
でも心が折れているので直前まで行くか迷う気がする。
もうキャンセルしたら運賃の4割を取られるから、行くしかない。
あとはまあ、コロナだよね。
最近のスローガンは「行くぞ✕✕!見るぞ✕✕!!」だ。
伏せてあるところはまだ内緒というところで。
行っても行かなくても記事にはします。

何年か前は「鋸山!黒部ダム!!」と言ってましたが、もうそんな欲はない。
あっ、そうだ。秋の大山に行きたい。神奈川のおおやまです。紅葉を見るの。

4。4月以降の予定は予定
派遣先とこれ以上契約をするかどうか。
2月末までに返事をすればいいのであと2ヶ月考える時間がある。しかしこれは理論上の話である。派遣会社は待ってくれないだろうな。

こんなところですか。

今年もよろしくおねがいします。

2021目標に対する進捗

まずは今年の予定から。

今年の予定 - きょうのひとり飲み会 (hatenablog.com)

 

1.入院しない

→確かにしなかったけど、最近は荒れて荒れてしかたない。

 

2.バカがばれないようにする

→職場の人に対してバカがばれないようにするとか思っていたがもうどうでもいいや。

あの時点では社員の学歴をちゃんと知っているわけではなかったのでそう考えていた。いや、今でも全員の学歴を知っているわけではないけど。

まあ、ここは職場は3月に去る予定だ(あくまでも予定)。

 

本文中に軽く「私立の学部卒だもんね」といっているけど、この事実に苦しめられたような気はする。お前が勝手に苦しんでるだけだろ……………。

環境を改善する的な発言はしていない。5Sなんて何ひとつやってないのに指差呼称に盛り込むのか等など言いたいことはいっぱいある*1。しかしもうどうでもいい。

 

3.水晶のペンダント

→中華街や元町も行ったけど、通販で購入。

仕事の関係で身につけられないので飾ってある。

 

4.社会保険料をひたすら払う

→1月に払い始めて4月までかかった。20万円くらい飛んだと思う。

 

来年の目標は来年出しましょう。

*1:できていないのではなくやってない。やっていないのではなくやり方を知らないのではないか

迷惑メール

2、3日前からスマホの方に迷惑メール着信が凄まじい。

タイトルから察するに同じ業者みたい。

もちろん既読にしないで捨てている。15~30分おきに来る。

 

はじく設定をしたいのだが、下手にいじってしまうと

就業先の災害時安否確認メールが届かない

のである。

うわあ、こういう時だけ従業員扱い………と言ってしまうと今回の内容から外れるというかまた荒れるので横に置いておく。

安否確認メールは本文中に安否について応答するためのリンクがあるので、応答できなかったら次に上長に会った時に

「何で応答できなかったの」

と言われる。

 

迷惑メールはひどいと仕事をしている間に100通以上やってきたが、ある時にぴたっとやんだ。

それはそれで怖い。

買ってよかった2021

今週のお題「買ってよかった2021」

 

ニトリのフライパン、500円。

 

 

今のアパートに入居するときに購入した3000円くらいのものをだましだまし使い続けて3年が過ぎた。

油をひいても食材がくっついてしまう。

参った。

毎日調理するんだから3000円くらい大した出費ではないはずである。

しかし貧乏性に3000円は痛くないけどでかめの出費だ。

11月頃ニトリに行くと、安くてよさそうなフライパンがたくさん売っていた。

よく見ると値段も少しづつ違う。

表面のコーティングがすごいものはもちろん高い。

高いと言っても2000~3000円くらいだったと思う。

その一方で500円のものもある。

私はフライパンを鍋代わりに使っているので*1、表面の加工がすごそうだとすぐダメになってしまうのではないか。

フライパンにおカネを出せない気がするのはこのためです。

しかし500円ならすべてクリアだ。

すぐにダメになってしまうかもしれないが、500円ならよしとする。

購入。

 

500円だと思ってあまり期待していなかったが、いいじゃないですかこれ。

もっと早く買えばよかった。

表面もすごくはないのかもしれないが、加工してあるので焼いてもくっつかない。

今のところ満足している。

*1:麺類もフライパンでゆでている