きょうのひとり飲み会

太く短くふわふわと

【7杯め】2011.3.12@横浜 出勤編

3月11日は、どうにかその日のうちに帰宅できた。
22時に帰宅して、23時くらいに寝る。

翌日は4時に取り敢えずラジオのスイッチを入れる(普段は5時)。
この日は土曜だったけど、もともと土曜は出勤と決まっているし工場も稼働できないほどダメージはない。

いつもなら某私鉄で横浜駅に出てJRに乗り継ぐのだが、JRがどうなのかわからないので布団の中からラジオで情報収集。
某私鉄は3月11日のうちに復旧していたので、JRが復旧していなくても早めに出れば横浜駅から会社まで歩いて行ける。
しかしJRは午前7時に運転開始とか。
私の定時は7時なのでそれじゃ間に合わない。
結局、普段より30分近く早いが5時半過ぎの某私鉄に乗ることにする。
ダイヤなど飛んでいたので、来た電車に乗るという感じ。

6時前、横浜駅JR改札口に出ると改札は閉まっていて、改札機の前に職員数名とかなりの乗客がいた。
ただ、シャッターは閉まってなく改札機真上の電光掲示板の表示はすべて「準備中」(この電光掲示板は各線ごとにあって、通常は発車時刻が2本分表示されている)。
改札周辺にJR・近郊他社線の運航状況のモニターがあるのだけど、この時だけはNHKの災害情報だった。
テレビ放送できることに驚く。

私鉄各線終夜運行していたらしく、中央北口南口あたりは乗り継ぐ人とJRの再開待ちの人でごった返していた。

JR線と並走する私鉄の窓口で「乗れるかどうか」話し合ったが、混んでいることが予想される上にダイヤも何もあったもんじゃないのであきらめる。
バス…今思えばバスに乗ればよかったのかもしれないが、前日の超満員が脳裏に焼き付いているので選択肢にはなかった。
こうなったら徒歩しかない。時間もあるしね。


地下街通って横浜駅東口に出ようとしたんです。
その地下街で、閉店後の店舗のシャッターに沿って、幅の広い通路の柱に沿って、びっしりと人が寝てたんです。
みんな帰ることを諦めたのでしょう。
消防あたりが配ったのか、みんな同じ毛布にくるまってた。
床には保冷剤バックによく使われる、シルバーで表面もこもこしたのも敷いてあった。
私は小さい頃親の趣味でキャンプばかり行っていたのだけど、あれを敷くと床の硬さも和らぐし暖かいと思う。
みなさんまだ寝てた。
私の履いているのが音のする靴じゃなくて本当によかった。
いざとなったらいくらでも代替手段のある土地だと思ってたのでこの光景が衝撃だった。

例えば、横浜から新横浜に行くのに、横浜線ダメでも市営地下鉄やバスで行ける。
というのが公共交通手段全滅したために、まったく通用しなかったものなあ。

 

ウォークマンでNHKのテレビとFMヨコハマを交互に聴きながら会社まで歩く。
土曜の早朝だったこともあり、国道の流れはスムーズだった。
「こんな時に仕事かよ」
と思いつつ、仕事をするという日常があることに感謝もする。