きょうのひとり飲み会

流しの食品検査員日記

分岐点

38年半生きていると「あの時あの道を選んでいたなら、今どうなっていたか」ということを考えないわけではない。

 

【服】

私が己の服を作る趣味に目覚めたのは30歳の頃なのですが、高校時代に作る方に興味を持っていたら全然違う人生になっていたことでしょう。

まあ、小遣い(バイト代含)の範囲で買えるブランドもの*1が欲しくて欲しくて仕方なかったのでどのみち興味は示さなかったでしょう。

この趣味は大人になってからのものなのでぼんやり思う程度で特に葛藤はなし。

 

【進路】

私は食品会社の品質管理部で検査員をしています。

昔は正社員もやったけど、最近は派遣でいろんなとこ行ってる。

東京農大の食品系学科を出たのですが、行きたかった学校なのでこれは満足している。おとうさんおかあさんありがとう。

しかし大人になった今、打算で考えるとどうしても以下のようになってしまう。

指定校推薦に女子栄養大学があったのならどうしてそこから栄養士の資格を取るという選択をしなかったのだろうか。

管理栄養士の枠は私の成績では厳しかったと思うが栄養士の枠なら行けたはず(管理栄養士と栄養士別物)。

栄養士持ってたら食品会社の品質管理でも開発でも病院や保育園の栄養士だってやれるし、とにかく幅が広い(ように見える)。

派遣会社の募集で足を切られることもない。栄養士なかったらその職種の経験がないと同じ土俵には立てないからねえ。

ということに気付いたのはもちろん社会に出た後。

これは20代の頃はけっこう悩んだ。

かといって今更栄養士の養成所は通えない。

カネがない。法律で昼間の学校に通学しないと受験資格が取得できないと決まっているので働きながらは厳しい。

当時から今に至るまで栄養に興味はないけど(さらに言うと食品なんか興味ありません)職を得るための手段は多い方がいいよなあ。

しかし仕事で知り合った管理栄養士たちはこのへんを否定してくるのだった。

「なつみさんみたいに微生物検査できて手に職持ってた方がいいと思います」

と言われたこともあった。

お互い隣の芝生は青すぎるということなんでしょうか。

 

【求人】

10年前は横浜に住んでいた。今は神奈川の別の場所に住んでいる。

その間、体調が崩れて2回ほど仕事を辞め、求職活動をしたが仕事がないので最終的にはアパートを引き払って実家に帰る。

実は横浜のアパートから今の職場は、通える。余裕だ。

最近よく考えるのだが、あの時その求人があったら応募していたんだろうか。

でも派遣会社も何も言ってなかったし、自力で探した求人の中にもこれがあった記憶がない。

また神奈川に戻ったことに意味はあるのだろうか。

私は偶然だと思っているけど、それが俗にいう縁とか運とかいうことなんでしょうか。

今の職場の人は「みんな縁があってこの職場にいる」とか何とか言っていますが、この話を聞かせたらどういう反応を示すんでしょうね。

 

超大雑把ですが、私の人生に分岐点があるとするならこんなところかな。

もちろん細かいものはもっといっぱいあります。

それにしても進路や仕事の話しかないですね。

仕事辞めまくってますけど入社したことも退社したことも、それぞれに後悔はないです。まあ都合よく忘れているだけなのかもしれん。

 

ついでに恋愛についても言及しておこうか。

過去には交際した人もいましたが、それも15年くらい前が最後です。

私の人生においては今でも葛藤を残すほど強烈な分岐点とはならなったのでしょう。

だからここのブログは恋愛や結婚がほとんど出てこないのだと思います。 

*1:うちの高校は私服通学可だったのだが、ヒステリックグラマーのあの黄色い袋はステイタスだった