私が小学校、中学校時代の家族旅行について語るとだいたいは
「いいなあ」
という反応です。
しかしだな……………………。
この話、FC2ブログでもやっているような気がしないでもないが、まあいい。
私の家族は父、母、私、弟の4人だ。
父は大の山好きです。数年前まで海外のツアーにも行っていたくらいだ。
私は子供の頃から「何でこの人は山じゃなくて人間の女と結婚したんだろう」と思っていました。
私が小2、弟が3歳か4歳くらいの頃「夏休みはキャンプだ」と言われ。
どういう反応をしたか覚えてないけど拒否はしなかった。私と弟は。
拒否をしたのは母親です。
母「やだ」
父「じゃあどこにも連れて行かないぞ」
初めてのキャンプは上高地でした。
どういうわけか北海道を最北にして東日本ばかりでした。
私は中学校の修学旅行まで関西圏に行ったことがなかった。何でだろう。
キャンプ場は寒い。炊事場の水が夏とは思えないくらい冷たい。
弟は小さいので寝袋におねしょをしていた。臭いが取れない。
体もまだ小さいので母と同じ寝袋に入っていたのです。
キレた母は「あたし専用のが欲しい」と言いました。
調理は父担当です。普段は家事しませんがキャンプの時は話が別。というか父以外バーナーの扱い方を知らなかったのです。
手伝いは子供たち。私はよくわからないのですが、母は
「子供たちはキャンプになるとよく手伝ってくれるんだよ、でもある時を境にやらなくなった」
と言います。
最初はテントと寝袋と調理道具だけでした。
コッヘルはマトリョーシカの様です。私はマトリョーシカ大好きです。
雑誌見ていると今の家族キャンプって最初からタープなんてあるけど、うちはタープすらなかった。
父が夏のボーナスをもらうとアイテムがどんどん増える。
タープ登場の時は感動しましたね。これで外に出てもすぐに雨に当たらないぞ、と。
シュラフマットも最初はなかった。あれはあるのとないのでは全然違いますよ。マット敷かないと石が体にあたって痛いです。
家族のキャンプは私が中3の時が最後になるのですが、この頃になると夕食後はテーブルにランタンを置いて数学をやってました。
この間、建物の宿に泊まらなかったのか?と言われそうですね。
何度かありますよ。
ただし、暴風雨の時に限る、です。
これで宿に泊めてもらえたのが酸ヶ湯温泉旅館。
調理設備のある部屋に泊まった記憶がある。そして売店で生卵を買った覚えもある。
あとはえりもの民宿に飛び込みに近い形で泊まった記憶もある。
これはまだいい方です。
最初こそ「全国キャンプ場案内」みたいな本を買ってましたが、何年もするとそんなもんないです。下調べなし。
最悪だったのは5年生くらいの時に日没が過ぎてもキャンプ場が見つからなかったことですね。
9時までに見つからなかったら車中泊、などという流れになる。
8時半くらいにどうにかキャンプ場を見つけたからよかった?
これがうちの旅行の定型です。