私はいつも思うのですが、料理ができないってどういうことなんでしょうか。
わりと生命に直結する話なのに。
この話は女が責められがちだけど、性別は関係ないでしょう。
また、検索すると「料理できなかったら結婚できない(特に女性)」的な見出しも散見されますが、料理は結婚の道具ではない。
女性だけに料理を求めるなら、それは結婚ではなくて結婚という形で家政婦をもうけるって感覚じゃないんですか。無意識だと思うけど。
とはいえ私だって火を起こすとか、釜で飯を炊くとか、魚をさばく、なんてことはできない。だしだって顆粒だ。だしのもとは便利だ。
魚はあじだったら、レシピを見れば、やれますけどね。
そこは文明の力借りまくりです。
こう書いているけど、私は別に料理は上手ではないし、偏食だし、おかずはワンパターンです。
10年以上ひとり暮らしをしているが、魚をグリルで焼いたこともない。
煮物も作らなくて、ひたすら揚げ物。
ポテトフライ、酢豚、から揚げ、てんぷら、フライが良く出る。
私は自分のことは
「自炊するけど料理はできない」
と思ってます。本当に。
定義が難しいよね。
仕事柄栄養士と知り合うことが多いけど、彼らの持参する弁当は本当にうまそう。彩りもバランスも良い。
年末になるとおせちの話になるが、「いくらをほぐして作る」ところから始まる。
そこと比べてしまうから「私は料理できないなあ、うーーーーん」となってしまう。
でも、世間の定義とは多分違う。
何で料理ができないか、という原因は「今までの人生でする必要がなかったから」なんだとしか思えない。
理由はいろいろでしょうけど、最も多いのは「親などの家族がやってくれた(母親とは限らない)」だろうなあ。
うちの親の話ですが、母は28で結婚まで実家にいて、同居する私の祖母や私のおばが料理がうまかったし自分が料理する必要がなかった。
それに対して父は18から33までひとり暮らし。
食事代わりにチキンラーメンをそのままかじったとも言っていた。
新婚の頃は父が母に料理を教えたと聞いている。
だから父も料理はできるけど、普段はしない。
母が3日くらい旅に出たら自分で料理している。食べ物に対する金銭感覚もあると思う。
というわけで、昔から必要に迫られなかったら料理なんてしなくても生きていける世の中になっているんだと思う。
私の元同僚は独身時代は料理をしなかったけど、結婚したら料理をするようになった。
この人の場合はできないというより「できるけどしなかった」といった方が正しいのかもしれない。
そう、しないのとできないのでは天と地ほどの差があると思う。
私の周りにはたまに
「この人、お勉強さえできれば親は何も言わなかったんだろうなあ」
という育ちの人もいて、それでは料理は最優先項目ではないだろうねえ、と思うこともある。
私が今回話題にしたいのは「できないってどういうことなんだろう」ということ。
でもこの文章は何を言いたいのか、ぜーんぜんまとまってない。
私は基本的なこと(ごはん、味噌汁、簡単なおかず)は小学生のうちにできていた。
母もパートに出ていたから家事を手伝う必要に迫られていたこともあるし、よく
「進学でも結婚でもいずれこの家を出ていくんだから最低限のことはしつけたもん」
と言っていたからだと思っていた。
けど、それは母を支配する
「私は料理ができない」
という呪いが反映されているのかもしれないと今思った。