きょうのひとり飲み会

太く短くふわふわと

ワードローブ変遷

まずはTsumuRiさんの記事から。

tsumuri.hatenablog.com

 

 

娘さんのお話なんだけど、ワードローブに好きな服しかないのが潔い!という内容。

これを読んで自分語り。

 

 

私は世間の目を気にしないで服を選んだことがあっ………、今か!今だ!!!

新生児、乳児、幼児、幼稚園はさすがに覚えていない。

小学校は基本的にジャージ通学だったので私服の出番なし。

あっても親の選んだものを何の疑問もなく着用。

中学校も基本はジャージ。生活の8割ジャージ。制服は残りの1.5割で私服はその残り。

私服は………自分のはダサいような気がしてならなかった。

しかも親の趣味と衝突する。服を買いに行こうと言われても、そこに着ていく服がないのが悩みだった。

セブンティーンを読み、カネのなさを恨んだのもこのへんだった。当時の月の小遣いは1,000円だった。中学生はバイトができない。

この頃から高校時代まで、20歳年上のいとこの嫁からおさがりをもらうことが多かった。

この人は専門学校で服飾を学んだ人なのでセンスもあるのだが、当時の私の趣味とは合ってなかったように思う。

 

で、高校時代ですよ。今振り返るとここが最も苦しい。

私の母校は私服通学可だったのですが、暗黙の了解というものが存在してました。

だから世間の流行と学校での流行がずれるんですね。

世間は安室奈美恵*1で校内はHYSTERIC GLAMOUR。(リンク先冒頭は動画です。音は出ないと思うけど)

全然違うでしょ。ヒスは高校生にはお値段がちょっとね。私は3年間で1着しか買えなかった。みんなどうやって捻出していたのか。

あとは高崎のVIVREに入ってたブランドをちょいちょいと買ってた。NICE CLAUPとか。

この頃ユニクロが流行っていたらどうだったんだろう。ユニクロ自体はあったけど流行ではなかった。

私服通学可だからって100%好きな服を着ていけるわけではなかった。

流行は取り入れられなかった。

今でも後悔していることと言えば、体育のない日に浴衣で登校しなかったことです。

色はこの頃が最もカラフルだった。

 

このような高校時代だったので、大学以降はもう我が道を行っております。

当時から今まで、流行も関心なし。北海道の右*2の大学に入っておきながらファッションの流行もくそもない。ファッション誌は買わなくなった。

上のリンクに大学時代の服もあるけど、これ2年生までに買った服ですね。

3年になると研究室に入って実験で白衣ばかり着るので、もう誰がどういった服装なのかわからない。

服装に限定していえば、自分自身にも周囲にも関心がない。

社会に出てしばらくは実家から車で通勤していたのだが、会社と家の往復、会社では作業服着るのでますます関心が薄れる。

27で横浜へ出て、電車通勤をするようになり、多少気を………使ってない。

黒い服ばかり好んで着てた。

「服装の色と腹の中の色は同じ色」と言っていた。本気でそう思っていた。

複数人から「暗い」だの「地味」だの「同じ色ばかり」だの言われる。

 

そして30くらいで洋裁と出会った。

その後はもう「着たい」「流行」とかそういう基準は超越して

自分で作った服

しか着ていない。

既製品を買う基準は「自分では作れそうにないもの」だ。

ズボンは買っているが、季節問わずシャツは基本的に自作。

昨年はトレンチコートだって作った。かなり歪んだ出来だけど。

最近またカラフルになりつつあって、最新作はからし色のシャツよ。

もちろん通勤に使っている。

 

というのがワードローブ変遷です。

好きな服なのかどうかわからないけど、やりたいようにやっている。

年齢とともに好みや考え方も変わるものなんですね。今気づきました。

*1:アムラーで検索しましょう

*2:札幌まで夜行バスで6時間