だいぶ前に夜の薬を飲んだのだが、眠くならん………。
au大変だったみたいですね。
私はSOFTBANKユーザーだし、休日ということもあって、1日家にこもってたので全然知りませんでした。
公衆電話の話ですが。
まずはテレホンカードの話でも。
私が最初に入手したテレカは景品です。
モスバーガーが昔発行していたフリーペーパーにネタが採用されたのですが、記念品としていただきました。
それは中学生の頃。1995年。
当時はクラスの子と長電話したけど自宅の電話なので公衆電話は使ってない。
最もよく使ったのは高校生の頃でしょう。1997年くらい。
公衆電話で通話はしない。当時の女子高生の通信手段はポケベル。
10円で可能な限り文字を打つ!
100円は釣りが出ないのでベル向きではない。
最大11文字くらいだし、文字の対応表さえ覚えてしまえば10円で打てますしね。
テレカも所持していたけど、あれは贅沢品だったような気がする。
上で述べた記念品のカードも使ってしまった。
テレカの裏面に均等に修正液を塗ったら無限に使えるとか聞いたけど(犯罪です)、絶対嘘だろそんなもん。詰まりそう。今思えば都市伝説の類か。
今の若い子は修正液も知らないだろうなあ。
大学入学の頃携帯電話を持つけどテレホンカードはまだまだ流通していた。2000年頃。
父が日本百名山を制覇したのだが、記念品としてテレホンカードを作り配っていた。
あれ、個人で発注できるのですよ。100枚くらい作ったんじゃないかなあ。
私はひとり暮らしをしていたのだが母から電話があり
「おとうさんの記念品もらってやってよ」
と言われ、本当に送られてきた。
社会に出た頃には携帯電話(スマホではない)に代わってしまって、公衆電話は使わなくなっていた。
最後に使ったのは東日本大震災の時だったと思う。たぶん。
19時に仕事を終え*1、会社の人が車で送ってくれるというので電車ではなく乗せてもらうことにした。
が。
通常なら30分かからないのに3時間半かかった。歩いたら半分の時間で済んだのに………。歩いてる人数もめちゃくちゃだったけど。
実家に電話をしたが、電波がぶっ壊れていてつながらない。バッテリーも力尽きた。
車内ではラジオがかかっていていろいろな情報が入手できた。パシフィコのホールを開放していますよ、とか。
NTTが公衆電話を無料開放しているという。
私は適当なところで降ろしてもらった。
途中のコンビニに公衆電話があったのは知っていたので、そこから実家に電話をかけた。
22時だった。地震から7時間くらいが過ぎていた。
でも、携帯電話がメインなのに何でそのコンビニに公衆電話があるって知ってたんだろうか。
それから公衆電話は使っていないと思う。
震災の時は横浜に住んでいたが、現在は神奈川の違う自治体に住んでいる。行動半径のどこに公衆電話があるのかわからない。
駅など公共施設も公衆電話の残骸が多くなっているような気がする。
SNSでは「先に受話器を取れ、カネはその後だ」とかアドバイスをする投稿が多々あったそうだが、40代の私だってもう使い方忘れている。
受話器を握りしめたら思い出すのかもしれないけど口頭や文章で説明できない。
おやすみなさい。
*1:定時は16時なので残業3時間なのだが「きょうは早く終わった!」と思っていた。おかしいだろ。