きょうのひとり飲み会

太く短くふわふわと

私と東京

埼玉の北で育った。
大宮が既に遠かった。

小学生の頃は父が池袋で働いていたので、夏休みは母が池袋に連れて行ってくれ父は半休を取ってサンシャインシティに行った。

高校生の頃は日頃から高崎で遊んでいたので、大宮すら遠い。
3年のときは何回か小田急に乗った。都内の大学へ行きたかったからだ。
関東の私立農学部は何か知らんがみな小田急線にあった。
夏休みはオープンキャンパスへ行き、秋はいわゆる学園祭へ行き、冬は入試。
入試は親の勤務先の宿泊施設に泊まらせてもらったが、原宿だったのでもちろん遊んでしまった。
そういえば、海を見たいと言って学校をサボって葛西臨海公園に行ったなあ。
埼玉県民は海なら何でもよかった。

大学は私立1校を6回受けるという荒業を使った。
複線入試ってやつ。
それで全滅するんだからバカですね。
だから池袋の予備校で浪人する予定だったのです。
が、3月の終わりに補欠になっていた学科から入学しないかという連絡が来た。

大学は北海道だったのだが、帰省するたび東京のどこかへは行っていた。
だいたい、飛行機の発着が羽田=都内だからね。
八重洲ブックセンター寄ったり、父に秋葉原連れて行ってもらったり、意味もなく新宿へ行ったりした。

大学卒業したときに実家へ帰る。
熊谷にはなにもないので買い物は東京。
大人だから電車賃だって困らないし、たまには行くようになっていた。

が!
27歳のときに転換を迎える。

横浜に引っ越したのだね。
横浜駅周辺でだいたい、いや、ほぼまかなえる。田舎出身者にとってはあの周辺でまかなえないものなどない。
服はジョイナスかルミネ、家電はヨドバシ、本屋だって今は亡きダイエーの上にでかいのがあったし。今はそごうの紀伊國屋書店。デパートがふたつもあって、地下街もあって、仕事帰りに宝くじだって買える。
ホームセンターは星川のコーナンで良い(当時は保土ケ谷区に住んでいた)。

そして私は東京へ行かなくなった。
乗り換えでたまに渋谷や新宿は通るが、もうわからん。
特に渋谷はついて行けません………。