キャンプの思い出を語りましょうというお題なので、何度目かわからないけど語る。
スポンサーついてるみたい。何かくれるのかな(期待してない)。
超長文になってしまったので別に読まなくても。興味のあるかたはどうぞ。
初めてのキャンプは上高地。
8歳、1988年。最後は15歳の時に北海道だった。10回も行ってないはずだけど思い出そうとするといろんなことがよみがえってくる。
父の趣味は登山だ。
母に初めてプレゼントしたのは登山用の靴!
新婚の頃は編み物が趣味の母に真っ赤なセーターを編ませた。万が一雪山で遭難した時に目立つからだ。
母はよく「遭難するなよ?おカネないから捜索にヘリは飛ばせないよ?1分!100万!!!」と言って父を脅していた。本当に1分100万円かどうか知りませんが。
子供の頃散々聞いた会話。
母「たまってる山と渓谷捨ててよ」
父「やだ」
こんな家庭では旅行の宿泊はキャンプ以外もちろん認められなかった。
それまでは父の実家に帰るか当時の勤務先の保養所だったので、母は抵抗した。
父「じゃあどこにも連れて行かないぞ」
そういうわけで、まとまった休みはもちろん山巡り。目標は日本百名山制覇。
巻き込まれる家族。
東北と北海道から攻めたかったみたいで、西日本は行ったことがない。
母が言うには私も弟(当時5歳)も喜んだらしい。覚えてない。
それではとりとめのないキャンプの思い出を語ります。
父は普段調理を一切しないが、キャンプの時だけは別だった。33まで独身ひとり暮らしだったので基本的な家事能力はあるんですが。
バーナーの扱い方を知っているのは父だけだ。母はいやいや付いていくだけなので覚えるわけがない。
キャンプ場に着くまでの道で食料を調達する。その土地のスーパーで何か買ってくる。だから持ち運びできるクーラーボックスはない。
火を使った調理の担当は父だが食材の下処理や片付けは母と子どもたちが行う。
何を食べたんだろう。カレーは1回も出てこなかった。
キャンプ場は夏でも寒かった。
水道から流れる水は夏とは思えないほど冷たい。
弟は小さいので母と同じ寝袋に寝るのだが、幼稚園の頃はおねしょした。
帰宅後に干してもにおいが抜けないので母はキレて
「あたし専用の寝袋が欲しい」
と言った。数年後要求は通った。
また、寒いので調理はテント内で行われた。
一酸化炭素中毒になるので本当はいけないのだがそうしないと寒い。
雨が降ったらそれだけでもう、ただただ寒かった。
暴風雨でテント泊は無理となることもあった。
6年生の時、飛び込みで宿に泊まった。それは酸ヶ湯温泉だった。自炊の棟に泊まる。我々はコンロを持っていたので売店で卵を買って自炊。コメはおそらく持ってた。広い混浴へも行く。2泊くらい過ごしたんじゃないだろうか。
自炊したいとは思わないけど、酸ヶ湯温泉また行きたい!!!
最初のグッズはテント、寝袋、コッヘル、父のヘッドライトだけだった。
テントは今のに比べたらゆったりしてない。夫婦と子供2人が入る大きさです。今の人はやらないと思うけど、すみに名前と電話番号をマジックで書きこんであった。
寝袋には何の思い出もない。
昔のコッヘルはいろいろ詰まっていてマトリョーシカのようで好きだった。
ちょっと大きい鍋の中に小さい鍋、やかん、折りたたみのおたまが入っていてふたはフライパン。まだ何かあったと思うが忘れた。
寝袋の下のマットはなかったかもしれない。うちのマットは保冷バッグの内側の銀の裏地みたいな素材でできている。今のはもっといい素材だと思う。それを寝袋の下に敷く。
これを敷かないで寝たらマジで地獄だ。地面の硬さと冷たさが体に直撃する。寝返りうったらテントの下の石に当たる。痛い!寝れない!!
そう思っているということは、最初はなかったのか。
母とも「あると全然違うよね」と言った記憶がある。やっぱり最初はなかったんだ。
これからキャンプを始める人には寝袋の下のマットは絶対買えと言っておきます。
タープは最初はなかったので雨が降ってればあった方がいいかな?という程度という認識です。登場した時には感動したような気もするけど。
最近のテントはタープも込みだし何より骨組みがしっかりしてるよね。親子で設営できるのか?と思ってしまう。
うちは設営と撤収は母と子供たちの役割だったので。
年に1度のことなので毎回
「このポールこっちだっけ」
「長いからそれじゃない」
などとやっている。撤収は片付けるだけなので早い。
父は夏のボーナスをキャンプ用品に突っ込んだので、タープ、マット、テーブル、ランタン…………毎年何か増える。
最低限必要なものについて検索するといろいろ出てくるけど、そこに載っているものを最初から全部揃えなくても別に問題ないと思う。
テント、寝袋、室内の照明、マット、食料(調理手段は何でもよし)、があれば問題ないよ、ほんと。
うちは移動しながらのキャンプだったので、遅く着いた時にはテントだけ設営して居酒屋行った時もある。そのへんは臨機応変で。調理もいいけどその土地のお店で飲食も悪くないよ。
風呂は近くの温泉。この当時キャンプ場にシャワーなんてあったか?
旅は中3まで続いた。
最後は北海道を半周した。
埼玉→函館→旭川→網走→釧路→えりも→函館→埼玉
母は運転免許を持ってないので父1人で運転しきった。
それに加えて登山するんですよ。体力凄いや。
私は北海道に住んだのでこれが本当に無茶苦茶だということがよくわかる。
フェリーは関東出発なら新潟か大洗からの方が体力を消耗しないと思うんだよなあ。
父は早朝に起き、ひと山登っていたようだった。
朝は基礎英語を聴き夕方はランタンの灯りで数学の問題を解いていると父が山から戻ってくるのだった。
30年前も夜のキャンプ場は若者がうるさかった。楽しいのはわかるけど、21時過ぎたら寝なさい!!!
こんな感じで毎年夏はキャンプでした。
しかし私が高校生になったら友人と遊ぶのが楽しくて自然解散となった。
こういった話を弟の友人たちは非常に羨ましがり、父は小学生だった弟と友人3人ほどを連れてキャンプに行ったらしい。
それから30年の月日が流れた。
夫婦は70代、子供たちも40代になった。
父は2000年頃に日本百名山を制覇した。
私はその時北海道でひとり暮らしをしていたのだが、母から
「お父さん記念にテレカ作ったから貰ってやってくれないか」
という電話が来た。100枚ほど作ってばらまいたらしいがもうどこかへなくしてしまった。
しかし何時の頃からか山に行かなくなった。年齢のせいだと思う。
母は「災害に遭ったらキャンプ用品駆使して庭で炊き出しをやる」と言っている。バーナー操作するのは父だけど。
私………キャンプに行きたいと思うことはある。
コロナ前にコールマンが開催したキャンプ教室行っておけばよかった。1グループ25,000円で、ひとりで参加するには高すぎると思って断念した。登山はどうでもよくキャンプ………テントで1泊したい。
今でもたまにスポーツ用品店のアウトドアコーナーを見に行く。最近のキャンプはオシャレすぎると思う。
上でも言ってるけど最初からそんなに揃えなくていいんじゃないか。最低限のものから少しずつ増えていくのも楽しいものですよ。
弟は数年前ソロキャンプに手を出した。
父は嬉しそうだったが私はヒロシの本を買って読み「世間のソロキャンプは登山やる人からしたら邪道だよなあ」と思っていた。
子供の頃に父がキャンプに連れて行った3人とは40歳を過ぎてもバーベキューなんかして遊んでいる。
父は知人に
「無理強いしちゃったかな」
と言ったというのを耳に挟んだが、母も私も弟も悪い思い出はないと思う。
というわけで、これからキャンプしたい人へ。
本当に必要なのはマット(3回目)。
マットだけは疎かにするな。
舐めてると眠れないぞ。
3000字以上費やして言いたいのはそれです。
考えれば考えるほど「マット必要だよ、うん」となってしまう。
追加されたグッズの中で最も感動したのはマット。その次がタープ。
それにしても、最後に全員でキャンプをしたのは30年前なのか。この記事をまとめるまでそんなことも気づかなかった。
4人で使ったテントはさび、寝袋も処分したと思うけど、もし最後の家族旅行があるとしたらキャンプしか考えられないのだった。
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