きょうのひとり飲み会

太く短くふわふわと

氷河期と職歴と精神疾患

yahoo!の記事に氷河期云々の内容がありました。

記事本文よりコメントばかり読んでいた。

 

「運でどうにか生きてきた」的な内容も散見される。

あとは就職活動の悲惨さについて(就活ではなく、就職活動)。

私は運で生きてきた。断言してもいい。

 

 

私は2003年に大学を卒業している。

内定は取れないまま卒業した。今回は「私と就活」の続きです。

私以外の同期は就職が決まっていた(けどその会社の質がどうだかはわからん)。

卒業した年の4月に入社できちゃった。ただし、初対面の人間に

「おめえの実力だったら試験管洗いしかできねえんだよ」

と言っちゃえる社長の愛人が面接官でしたが。この時に限らず話し方は「言う」というか怒鳴るとか喚くに近いニュアンス。

初対面の人間に対して呼び方が本当に「おめえ」です。

今だったらコンプライアンス云々ですけどここしか採用してくれなかった。選べなかった。私も世間を知らなかった。

この人の気まぐれで罵倒され続けて1年半で発狂した(かなりの躁になり入院)。

 

その後レールを外れまくったのは氷河期のせいなのか双極性障害のせいなのか、よくわからん。

 

最初の会社は一応正社員だったけど、女は仕事ができないという社長の愛人のお言葉で本当に簡単な「作業」しか与えられなかった。「仕事」は与えられず、そういうものだと思っていたので実務は何も身につかなった。だから失敗したこともなかった。

退職後は1年半の派遣生活を経て正社員になった。

求められる能力のレベルが違った。仕事ができなさ過ぎてこの会社はよくこんなのを拾ったなあと悩んだ。

3年で辞めたけど、濃密だった。退職して10年過ぎても評価してもらえるような実力を身に着けた。

ただ……………

・基本給カット

・ボーナス出るわけがない

365日戦え(24時間とは言わないが、戦えますかではない。戦え、だ)

・有休どころか87日しかない年休が消化できない

・残業代そんな日本語あったっけか?

倒れました。もちろん自己責任です。

 

ここで糸が切れたような人生になった。

 

この次は派遣だった。職務経歴書に上の内容を盛り込んだら派遣会社に端折られた。

あはは。

派遣先の人は職務経歴書を見た瞬間に

「休み取れました?」

と言った。

この人は私をすごく気に入ってくれたけど、契約社員にしてくれたけど、私が期待に沿えませんでした。

最後の3か月は抗うつ剤で躁転し、反動でうつがひどくなり、退職。

この当時はようやっと双極という診断がついた頃で、リーマスは飲んでなかった。

あのまま契約社員として頑張っていたら今頃正社員だったかもなあ。

そこは派遣→契約→正社員というステップを踏んだ社員が数人いた。

東証一部上場企業なんだよ。大逆転できたのに。

 

そこから先の職歴は切れ切れ。ほとんど派遣。1年弱くらいで職場を変わっている。

辞めた理由は通勤の異様な長さだったり体調不良。

 

こどもが欲しかったら悶絶していたと思うよ。経済力ないもん。相手がどうこうというより己の経済力。

自分が大卒なので、こどもも同じく。なんだろうなあ。やっぱり。理系に行くなら大学院まで考えなくてはならん。親が自分にしたような援助はできない。

大学出たからってその子に合った企業に就職できるかと言ったらそれも別の話のような気がするんだけどね。

その子に合った企業というのは必ずしも大企業というわけではないです。

結婚したとしても働かなきゃいけないのは目に見えているし、離婚して子供を引き取っても養育費払ってもらえるとは限らない。

未婚で出産するなら男からの援助は期待しない方がいいだろうし。そこまでの感情をもてる男はいないけど。

私に近寄る男は私を裏切るに決まっているのだから、子どもは持たない方がよくないか。

だから相手という存在は無視して考える。

結婚は贅沢品だとはよく言ったもんだ。結婚までではいいけど子供はなあ。

 

こういう悩み?が氷河期から来るものなのか、己の精神疾患から来るものなのか自分ではよくわからん。

まあ、疾患がベースだろうな。正社員で3回入社できたのにものにできなかったというのがね。

しかし、私はこうも思うのです。

1社に長く留まることがそんなに美しいことなのかと。

私は年単位で計画を立てられないので(症状のひとつだと思うけどね)新卒で入った会社に20年以上勤めている人の脳内はわかりません。。。

 

あっ、政府は何かしようとしているようですが、どうでもいいです。