きょうのひとり飲み会

太く短くふわふわと

私と就活

私は4大出てるけど、卒業式に進路は決まってなかった。
そんな醜態を晒したのは私だけだったので大学側は私のことは抹殺したいはずである。
しかもここのブログで派遣生活について堂々と語っているので大学の名を汚しているとか言われて今から卒業を取り消しにされたらどうしよう。
まー、卒業してからだいたい20年過ぎているから今更取り消しもなにもないんだけど。
社会での実績もあるから派遣でやっていくには困らないし。

さて、前置きが長くなりましたが就活。
この頃私は心を病んでいたようながする。たまにオーバードーズに近いことをやっていた。
今は双極性障害診断が出ているのだが、双極って心というか体の脳をやられている感覚なんですよね*1
あの時いろいろあったし死にたかったんじゃないかなあ。死んでないけど。
大学が北海道だったので道内に就職したいと漠然と思っていたが、東京出身の男性と交際したことによって揺らぐ。
今思えば卒業した瞬間に別れるんだから自分の信念貫けよと言ってやりたいがこの時点ではそんなことわからんしなあ。
そして成績も非常に悪く。やる気もなく。
面接では「何でこんなに成績悪いの」とはよく言われた。
そりゃ補欠入学だからだ。客観的事実を述べることは言い訳に値するんだけど。
後期になっても内定が出ないので、学生課に呼び出された。
「キミはサークルに所属しているね」
「はあ」
「そのサークルに1年生が10人しか入部できないとする。11人希望者が来た。どんな子から入会を許可する?」
「うちは来るものは拒みません」
終了。
お互い話にならんという感じ。
学生課的には何か模範解答しろということだったのだろう、それが私の欠点だと言いたかったのだろう。

親とは離れて暮らしていたし、氷河期という状況を全くわかっていなかったと思う。
自分たちが高卒で超大手に入社できたので、大卒ならもっと大きな企業に入れると思ってたんじゃないかな。
言われてないけどそんな気はする。
この10年後くらいに「みんなが知ってる大きな企業入りたいならやっぱり東大の大学院は出てないとなあ」と言ったらたいそう驚いていた。

バイトは普通にできていた。労働を拒否したいわけではなかった。
ただ、日本の就活は私にはまったく合わなかった。
当時は人見知りも激しすぎた。面接で喋れる気がしなかった。
転職をしまくった今、日本の労働システムにも合ってない生き方なんじゃないかと思っている。

結局、大学を出た年の4月に場末の………今にも潰れそうな食品会社に入社はできた。一応正社員。
「経験者を募集していたけど、そこの大学で食品をやったなら採用してやる」
というわけで、ほとんどはったりだった。

この後の話はまた改めてやります。記事はできている。

まあ、20年くらい業界ふらふらしているけど働けてはいるんだからそんなに心配することもなかったんじゃないでしょうか。

*1:あくまでも私がそう感じるというだけ。一般論ではありません