先日、師匠とお食事をしていてメールの文章の話になった。
師匠は15年前に勤めた会社の総務部の女性。私は辞めたが師匠は今もその会社に勤めている。
会社にメールの文章が分かりにくい人がいるらしい。
そこから国語の話になったのだが酔っていたせいもあってあまり覚えていない。
「本を読む人にとって、国語のテストは漢字を覚えるだけ」
だそうです。
そうだったのか………!!!
私はどうだったんだろう。中学時代は塾に通っていた。高校時代は漢字だけを覚えていた。でもいい点数取れた。国語、社会、英語で5教科の点数を取っていた。
何で理系クラスに行ったのか?ですか。そうですか。
そのお食事会の後、実家に帰ったのだが母も
「LINEに打つ文は悩むんだよねえ。漢字間違ってないか、とか句読点を打つ場所とか」
と言っている。
漢字は自信がないので辞書を引いてから返信していることもあるという。
そういえば、師匠はこのブログの存在を知っているのだが、唯一指摘されたのは
「読む人を選ぶ内容だと思う」
という点だった。
文章については評価を聞いたことがない。
構成の仕方とか、ひとつひとつの文が破綻していないか、など。
起承転結だとかぜーんぜん意識したことがない。考えたこともない。
可もなく不可もないということか(実に自分に都合の良い解釈)。
それとも言っても無駄だと思われている!?
最終的には書き手の性格と読み手の好みによる部分もあるのは確かなんだよな………。
私が以前少しはまった作家清水義範先生は
「小学校でちゃんと作文を教えていないからだ」
と書いていたけど。どの著作に書かれていたものかは忘れてしまった。
例えば作文で「お兄ちゃんとケンカした時の心情」を「殺してやりたいと思った」と表現したとする。それを読んだ教員は
「怒りを表現できていると思うけど、ちょっと過激じゃないかな」
という指導に留めるべき。しかし
「そんなことを言ってはいけません」
という方向にもっていってしまうことが多い。
それじゃ国語じゃなくて道徳だよ、という(清水先生は国語の教員免許を持っているのでこういうの詳しい)。
そう言われると4年生の時の担任に「文は短く」と言われたこと以外具体的な指導は受けていないかもしれない。
「誰の作品は内容がいい」などはあるんだけど、文の書き方ではないような。
だからみんな大人になっても振り回されるのかな。
自分も書いていて悩むし下手な人にイライラもする*1。
ブログなどやっているのに自分のひねり出す文章のレベルなど考えたことがなかった。
趣味だからね。
うまいとも下手だと思ってない。普通だとも思ってない。
クセはあるとは思う。自覚はある。
以前もそこには言及している。該当記事をリンクしたかったけどどこに埋もれているか不明。それは
「まあ、そうなんだろうなあ………」
みたいな表現多めだと思うよ。という内容です。
仕事ではめったにメールをしないので、たまに送信するときは緊張していますけどね。
あとは「句読点入れすぎなんじゃ」と思うことはある。
だめだ、この話全然まとまってくれねえ。
*1:………………これ、本当にどの著作なんだろう。先生には学習塾を経営している弟がいるのだが、そこに通う子供たちに毎週作文を指導する話に発展する。著者は記憶のとおりだと思うのだが。実家にあるのか、図書館で借りたものなのかすら覚えていない