きょうのひとり飲み会

太く短くふわふわと

【6杯目】2011.3.11のこと 帰宅編

この日の帰宅についてはメディアで散々報じられているし、ブログなんかでも既に語りつくされているのかもしれないが、東京23区目線が多いし、この日の帰宅についてはやはり語っておく。


結論から言うと、日付が変わる前に自宅に帰宅はできました。


詳細は以下の通り(やっぱり長い)。

その前に普段の通勤について。
前提がないと、当日以降どうひどかったのか比較しようがないじゃないか。

基本は電車です。
出勤なら
自宅→某私鉄→横浜駅→JR某線→会社最寄り→会社
です。
帰宅は逆にしてください。
これでだいたい45分。
実際は電車待ってたり歩いている時間の方が長いかな?

距離は10kmもないので暖かい時期は自転車に乗ってたこともありますが、それも1時間はかからない。
たまに自宅方向に運転する他の社員の車に乗せてもらうけど、それだと30分しない。

 


当日の話です。
定時が16時なのに、仕事があったりいろいろで19時まで会社にいた。
しかも仕事も余震のたびにうろたえては中断。


夕方までにyahoo!のトップページはすべて地震情報になってしまった。
電車は既にすべて止まっていて、高速道路は首都高も横羽線も何もかも閉鎖ということはわかっていた。
いつも工場長が外国人従業員を車で送っているのだが私の自宅方向と一致するので乗せてもらうことにした。


国道15号に出た瞬間動けない。片側4車線はあるのに。
歩道に大量の人がいる。
気が向くと横浜駅まで歩いて帰るけど、普段は歩行者などあまりいない。
高速が閉鎖されてるので普段は一般道を通らない物流のトラックばかり。
その間をバイクが縫うように走って行くのを見て、車の運転者は正直やりづらいかもしれないと思った。
しかも横浜駅東口前なんて一般道の真上に高速道路があるしトンネルもあるから地震の後は嫌な感じしかしない。
東京方向への流れは微動だにしなかったように見えた。

車内ではカーナビからのテレビかFMヨコハマ聴いてた。
ラジオは昼の番組の出演者が19時過ぎても放送を続けていて、パシフィコ(場所はみなとみらい。2010年にAPECやった)や横浜アリーナが帰宅困難者を受け入れている、などとやっていた。
横浜市以外の神奈川県情報も流れてくる。
自分の行動範囲についての情報は非常にありがたかった。
FMはこういうローカル情報が強い(<s>AMは日没後なら遠距離受信できるのが最大の強みだがこれについては後日やる</s>)。

しかし実家に電話してみるもつながらない。
19時半過ぎに私の携帯電話の電池は切れてしまった。
ラジオでは災害用伝言番、公衆電話の無料開放などいろんな連絡手段情報を流していた。

5キロくらい移動するのに2時間半かかった。
「ここからなら歩いて帰れる」
と判断した時点で私は徒歩で帰宅した。
そこから自宅まで30分くらい歩いた。
歩きながら見たバスは超満員だったが全然進まない。
乗せてもらった車に抜かれることはなかった。

リアルタイムでは知らなかったが、この頃(21時半過ぎ)に某私鉄は復旧したようだ。
東洋経済にも載ってたけど、かなり早かったらしい。
<strong>この私鉄、いまどきよくストで止まるけど。</strong>
↑私はどのへんに住んでいるか、これでわかる人にはわかるww

いつもは23時まで営業しているマクドナルドは22時前に店を閉めていた。
私のウォークマンはFMチューナーが内蔵されているが、初めてラジオを聴きながら歩いた。
こういう時に人のしゃべる声は気が紛れる。
近所のコンビニに寄ったのは22時前。
いつもならベッドで横になっている頃。
おにぎりなど、すぐに食べられる食品はなくなっていた。
カップめんを翌日の昼食用に買って帰る。
店の外に公衆電話があったので実家に電話する。
ラジオの情報通り、無料だった。
おカネは持っているけど非常にありがたい。NTTいい仕事する。
親から
「電話かけたけどつながらなかった」
と言われたが、その時間には私の携帯の電池が切れてたことを詫びる。
都内の弟も無事だった。

会社は震度5強だったので自宅がぐちゃぐちゃになってると思い込んでいたが、意外にも食器は割れていることもなかった。まな板が床に落ちていただけだった。
若干内陸だからか?

自宅でAMラジオを聴くと某私鉄が復旧してることがわかって少し安心。
いつもはしないんだが、照明もラジオも切らず寝る。

この時点で計画停電とか考えもしなかったし、原発がどうこう気にする余裕いっさいなし。
翌日も仕事だし、さっさと寝る。


次回、2011.3.12のこと 出勤編
に続く(更新日時未定)。